あっこのブログ

おばちゃん探偵、法科大学院に学ぶ。

Date:2017.02.01(Wed)16:49 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(27)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 それは昨年の秋の初めのある夕方のこと。中年の男性から慌てふためいたような声で電話がありました。 「お宅とこは家出なんかもやったはりまんのか?」 かなりぞんざいな言い方です。
 「ええ、内容によってはお探ししていますけど、どなたが家出されたんですか?」と私。
 「嫁はんなんですわ。チビらを連れて出てますんや。昨日、幼稚園に行ってる上のチビが携帯に電話してきて、『パパ、早く帰りたい』と言いよりまんねん。『どこにおるんや』と聞いても、『分らん』としか答えませんし…。アイツらが可哀想で、居ても立ってもおれませんねん」
どうやら、“チビ”とは彼の子供のことのようです。 「どちらにしても、もう少し詳しいお話をお聞かせいただかないと…」
私がそう言うと、彼は聞いてきました。
「これは、そっちへ行かなあきまへんのか?」
「お電話でもいいケースもありますが、お宅様の場合はお会いしてお話をお聞きした方がいいと思います」 「はぁん、そしたらこっちへ来てくれはりまっか?」 彼はそう答えたのでした。
 「逢うて話さなあかんねんやったら、悪いでっけどこっちへ来てくれはりまっか?」
彼はそう言いました。
 「申し訳ないですけど、ウチは皆さんこちらへお越し願ってるんですけど…」 私が答えます。
 「そうできるやったら行きまっけど、忙しいて手が離せないんですわ。不況で三日前に社員五人全員を切ってしもうて、一人でてんてこ舞いですねん。いや、儲かってんのは儲かってまんねんけどね。電話がジャンジャンかかってくるさかい、事務所を空けられませんねん」
 不況で社員をクビにしたと言ってみたり、儲かってると言ってみたり、私は内心「話が合わんやっちゃな」と思っていました。
 「それでは、業務が終わられてからでも結構ですよ。私も遅くまで仕事をしていますから」
「夜中までかかりまっから、マ、そんなん言わんと、ちょっと来てくなはれな。時間は取らせませんよってに」
「忙しいのはこっちもや」とは思いつつも、「マ、しゃあないな」と今から出向く旨を承諾したのでした。
 ところが、指定された彼のオフィスのあるビルの前で落ち合うと、私は再び目が点になってしまいました。 指定された依頼人のオフィスが入っているという、立派なビルの前で待っていると、彼はほどなくやって来ました。いかにも若い頃はブイブイ言わせだたろうなと思える、四十過ぎのがっちりした体躯つきの男性でした。
 「無理言うて、えらいすいまへんなぁ」彼はそう言い、「どっか落ち着くとこで、話聞いてもらえまっか?」と歩き出しました。  「そうですネ。そこの喫茶店にでも入りましょう」私はそう答えながら、喫茶店に入りかけました。
 ところが、彼は「喉がえらい乾いてまんねん。どっか、ビールの飲めるとこへ行きまひょうな」と言うのです。
 「ビールならここでもあると思いますよ」と私。 「マ、そう言わんと。喫茶店では落ち着かんから」と彼はスタスタと歩いていきます。
 私は「何やねん、コイツ。酒を飲むとこの方が落ち着かんやんか」と思いながらも、やむなく、ほとんどムッとしながら彼が目指していた小料理屋へ一緒に入ったのでした。
 彼は自分の大ジョッキを頼むと、「先生も飲みはりまっしゃろ?」と言ってきました。
 私は、「いえ、結構です。それに、私は先生ではありませんので、佐藤で結構です」と答えます。
 「先生、酒はいけまんねんやろ?そんなん言わんと、一杯つきおうてくなはれな」 私は「まだ言うか?」と思いつつも、それに、ゆっくり腰を据えて酒を飲む態勢に入っている彼を見て「どこが事務所を空けられへんねん」と思いつつも、いつまでもそんなことに構っていては話が進まないと判断し、「で、奥さんが家を出られたのはいつごろのことなのですか?」と切り出したのです。さっさと依頼の内容を聞いて、早く事務所に帰り、残っている仕事を仕上げたい気分で一杯でした。 
 「それですねん、先生。話せば長いことですねんけど」と前置きをして喋り出した彼の話は、本当に長い話でした。優に三時間はかかったのです。
 加えて、彼の話は主語を明確に言わない大阪弁の特徴そのままで、しかも登場人物が多すぎ、「どれが誰のこっちゃ、全然分らん」ということなり、なおさら時間がかかったのでした。 「どこが『忙しいて手が離せんから、来てくれ』やねん。腰据えて酒を飲んでるやんか!」
 さっさと依頼の内容を聞いて、早く事務所に帰り、放ったらかしにしている残りの仕事を仕上げたい私は、優に三時間は超えた彼の話に初めはイライラしていました。
「完璧に酒の相手をさせられてるわ」
ところがそう思った途端、私は全てが分ったのです。 その通り、彼は私に酒の相手をして欲しかったのです。奥さんとのもめ事や奥さんの実家とのゴタゴタ、それに目の中に入れても痛くないほど可愛がっている子供達の身の心配…。友人や親戚や得意先には決して言えない、そうした話を私に聞いて欲しかったのです。いや、彼らに言ったところで、「それはえらいこっちゃなぁ」と済まされるだけで、自分の心の苦しみを真底理解してくれないだろうことを、彼はよく知っていたのです。一人で悩み続け、現に彼はここ何日間か食が進まず、禄に眠りもできなかったようです。「先生、こんだけ食べんのは久しぶりですわ」彼は言いました。彼は苦しくて、それに淋しかったのです。
 「私にもビール下さい!」私は店の人に言いました。 彼の気持ちが分った瞬間、私も腰を落ち着けて、彼の話をじっくり聞いてあげようと思ったのでした。
 彼の話とはこういうことでした。
彼が奥さんと知り合ったのは、彼女の母親が経営しているスナックへ飲みにいった時のことでした。
 「今日から娘が手伝いにきてくれるようになったのよ。よろしくね」そうママに紹介されて一目彼女を見た時から、彼は彼女を気に入ったのです。それからは以前にも増してその店へ通うようになりました。彼の気持ちは母親はもちろんのこと、常連客でさえ知らぬ者はないほどでした。彼女自身もまんざらでもなかったようです。
 そのうち店以外でも二人で会うようになり、やがて同棲し、子供ができたのを機に結婚したのでした。  彼は子煩悩で、二人の娘達を大変可愛がりました。夫婦仲も当初は非常に良く、家庭的には何ら問題がありませんでした。
 ところが、様子がおかしくなってきたのは、彼が独立して1年くらい経ったころです。

<続く>

Date:2016.12.27(Tue)12:24 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(26)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 「…気品を備えていて、それでいてしたたかさを持った君を…」そういう言葉でした。
 「したたか」と言われて、十八才の彼女は自分がどう評価されているのかがよく分りませんでした。そのために、未だにその言葉を忘れられないでいたのでした。 それでも彼女は、三日後、指定された時間に彼が待つ部室へ向かったのはもちろんのことでした。
 剣道部の部室は新しいプレハブの部室が立ち並ぶ一番手前の古い木造の一室でした。男子部員の多いクラブらしく、内部は乱雑に竹刀や胴着が置かれ、戦前からあるというその部室は三畳ほどの畳が敷かれていました。畳の上にも物が雑然と置かれ、冬になるとその真ん中に部員達は電気ごたつを置いていました。ですから、四人座ればもう足の踏み場もないという状態でした。
 彼女が恐る恐るドアをノックすると、中から彼の声がしました。
 ドアを開けると、彼一人がこたつを前にして座り、難しそうなぶ厚い本を読んでいました。五回生で、ほとんど授業のない彼は、こうして日中の時間を過ごしていたのです。
 ドアの前に突っ立っている彼女を見て、彼は「まぁ、とにかく座れば?」と言いました。
 彼女は彼の顔を見た途端、カチカチになっていました。 別に内気でおとなしい訳でもないのに、むしろ明るく可愛い気のあるその性格で、高校時代は何人ものボーイフレンドができたし、気軽にも諜べれていたにも拘わらず、その時の彼女は全くの硬直状態でした。十八才の彼女は、二十三才の彼が随分と大人に見えたのです。そして、一体何を話していいのかということさえ分らなかったのです。 
 片想いだと思い込んでいた四年先輩の彼からラブレターをもらったのは、彼女が大学一回生の冬になろうとしていたころです。
 半信半疑で、指定された日に剣道部の部室に向いました。彼に促されて、狭い部室の畳の上に置いてある電気ごたつの前に座ることには座ったのですが、彼女は何も話せずにいました。 別に内気であるために男性と喋れないというのではありません。高校時代は結構もてたし、何人かのボーイフレンドともつきあってきました。
 しかし、彼の前では自分が別人になったように、言葉を発することさえできなかったのです。
 剣道の指導は主にキャプテンがやってくれていて、彼は一人黙々と自分の練習をしていました。彼が彼女に直接話しかけるなどということはありませんでした。しかも彼は無口で、彼女はほとんど言葉を交したことがなかったのです。そもそも入部した時からキャプテンや四回生、三回生の先輩達から「すごい人だ」と聞かされてきました。そうしたことが、彼女にとって彼は「近よりがたい存在」、「ただ憧れの目で見ている存在」としか思えませんでした。だから、ラブレターをもらっても、すぐには納得できなかったのです。  その時、彼女はガチガチに緊張していました。
 彼は彼女が一言も言葉を発しないので、話題を探すように、今読んでいるぶ厚い本の話を始めました。それはカントかヘーゲルの哲学書で、彼女にはその内容が難しくてよく分りませんでした。高校の社会科の論理の授業で少しは習っていましたし、彼の言葉を一言も聞き漏らさないように耳を凝らしているのですが、彼の話す哲学の難しい話題を理解できないことが、ますます彼が自分とは別の次元の人だと思えてくるのです。 
 ふと気づくと、彼は本の話はとっくにやめていて、彼女に出した手紙のことを話していました。そして、「つきあってほしい」というようなことを彼女に語りかけていたのです。
 彼女は相変らず言葉が口から出てきませんでした。 彼が「構わないかい?」と彼女の返事を促します。彼女はこっくりと頷づくのがやっとでした。
 そのうち、彼はこたつの上に置いてあったりんごを取って、小さなナイフでそれを剥き始めました。少し剥いてから、急に気づいたように、「あぁ、こういうことは君にやってもらった方がきれいに剥けるね」と言いながら、剥きかけのりんごとナイフを彼女の前に差し出しました。
 彼女は大いに慌ててしまいました。
 彼にりんごを剥いてくれと言われて、彼女はとても慌ててしまいました。
 彼女はこれまで料理をしたことがないのです。母は彼女に掃除や洗濯をよくさせていましたが、包丁だけは持たせなかったのです。それは、父が味にうるさいということも原因していました。今、親元を離れているとは言っても、両親の知人の家で下宿していて、食事は下宿先のおばさんが全て作ってくれていました。 「いえ、私、へたですから…」 
 彼女は初めて口を開きました。
 「それでも、僕が剥くよりましでしょう」
彼女はやむなくりんごを受け取って、懸命に剥き始めました。
 その様子を少し見ていた彼は、「やっぱり、僕がした方がいいみたいだね。これじゃあ、僕以上に現代彫刻だ」そう笑いながら言うと、彼女からりんごを受け取って再び剥き始めました。 彼女は奈落の底に突き落された気分になっていました。「りんご一つも剥けないなんて…。彼はきっと私に失望して、気持ちも冷めたのではないだろうか?」そう思っていました。
 それでも、彼はその後、何回も彼女をデートに誘い出しました。
 「きっと彼は私に失望して、気持ちも冷めてしまっただろう」
 憧れの先輩からラブレターをもらい、初めて部室に赴いた日、彼の前でいいところを見せなければならない時に、あろうことか彼女はりんごひとつ満足に剥くことができず、自己嫌悪に陥っていました。それでも彼は、その後何回も彼女をデートに誘い出しました。 しかし、彼女は相変わらず彼の前ではいつもの自分らしく振る舞うことができませんでした。映画を観に行っても、公園を散歩していても、やはり喋ることはできません。彼の話をじっと聞きながら、いつもただおし黙っているだけでした。 彼は六人兄弟の末っ子で、両親を中学・高校時代に相次いで亡くしていました。長姉が母代わりとして彼の面倒を見、彼自身もまたこの長姉を信頼し、慕っていました。話の中から、彼の家庭環境のそんなことも分ってきました。
 ある寒い日、彼女は寺社巡りの好きな彼に誘われて有名なお寺の拝観に行きました。寺を出るころになって、彼が突然「姉さんに会ってくれないか?」と切り出してきました。 
 彼の吐く息の白さが今も鮮明に脳裏に残っています。その言葉を聞いて、彼女はまたもやびっくりしました。と同時に、彼の意図を図り兼ねていました。
 まだつきあって間もないのに、何故「母」と慕うお姉さんに会わせたがるのだろう?この前、結婚相手が決まれば、真っ先にお姉さんに紹介することになっていると言っていた…。ということは、私を結婚相手と見ているのだろうか?
 彼女はそうした疑問すら聞くこともできず、ただ一人で思いを巡らしていました。
 「年が明けたら、早々に時間を作ってくれないか?その時、姉を紹介するから」その日、駅での別れ際、彼はそう言って帰っていきました。
 それから彼女はずっと憂鬱でした。彼に結婚相手と見られていることが不愉快だというのではないのです。勿論、十九才になったばかりの彼女が「結婚」を実感持って考えられなかったのは当然です。が、それ以上に彼が本当に自分を愛してくれているのだろうかということが、最初からずっと信じられないでいたのです。いえ、もっと言うならば、彼の前でいつもの自分でいれない自身へのいらだちだったのかもしれません。
 クリスマス・イブの日、剣道部ではコンパが催されることになりました。退部した彼女でしたが、同級生の女子部員やキャプテンの誘いもあって、彼女もそのコンパに参加しました。盛りに盛り上ったコンパも終り、彼が駅まで送ってくれることになりました。
 いつものように黙って彼の後を尾くように歩いていた彼女に、彼が突然振り向いて言いました。
 「君はどうして僕といる時はそんなに喋べらないの?僕のことが嫌いなのかい?」    「いえ…」
蚊の鳴くような声でした。 「じゃあ、どうして?」 「…。」
 彼女はまた黙りこんでしまいました。
 その時、突然、彼は彼女を抱きしめたのです。
 剣道部のコンパで、あまり飲みつけない酒を勧められ、彼女は酔っていました。 ですから、彼に突然抱きしめられ時は何が起こったのかが分りませんでした。彼の顔が近づき、その唇が彼女の唇に触れた時にやっと事態が飲みこめたのでした。 
 彼女は咄嗟に彼を押しのけ、次の瞬間には泣き出してしまいました。
 四十二才になった今では、自らのことであるにも関わらず、あの時の若さ故の潔癖が理解しがたいものとなっています。
 「私は何故あの時泣き出してしまったんだろう?ファースト・キスでもなかったのに…」
 それは、今ではきっと彼とのつきあいの初めから素直に自分の気持ちを表現できなかったちぐはぐさから来ることなのだと思っています。
 あの日以来、二人の間は遠いていました。
 私達が彼女に彼の所在を報告できたのは、彼女が日本を発つ三日前のことでした。
 その三日間で、彼と再会し、二十三年前とは違って自分らしい態度で彼と会話を楽しんだかどうかは、彼女が既にヨーロッパへ行ってしまった今となっては確認しようもないことなのです。

<終>

Date:2016.12.05(Mon)10:11 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(25)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 その日、電話をかけてきた女性は、調査を依頼した場合どれくらいの期間で判明するのかということをしきりに聞いてきました。
 「ケースバイケースですので、一概にどれくらいの期間で判明するかということになりますと、調査に入る前からは申し上げられないのですが」
 私がそう答えると、彼女は、「実は、二週間後に日本を離れるので、それまでに探してほしんです」と言ったのです。
 彼女は四十二才。インテリアデザイナーで、建築士の資格も持っていました。これまで一緒になってもいいと思った人がいなかった訳ではありませんが、仕事に夢中になっているうちに結婚しないできました。
 今回、彼女は恩師の勧めもあって、建築分野の知識を深めるために、ヨーロッパへ二年間留学することになっていたのでした。 
 最近、彼女はよく夢に見る人がいると言います。一度目は「ああ懐かしい人の夢を見た」で済んだのですが、三度四度と重なるうちに、今どうしているのかが無性に気になり、日本を立つ前にどうしても会いたくなったのでした。
 今回の依頼人(42才、女性)が日本を離れる前に是非会いたいという人は、学生時代の恋人でした。
 彼女は東京の有名私立大学に通い、剣道部に所属していました。
 高校生時分から剣道に憧がれていました。「小手」や「面」で相手を打った時、一瞬全てが静止するような、あの緊張感が好きでした。 しかし、厳格な父は「女が竹刀を振り回して、嫁に行けるか!」と、決して剣道部に入ることを許してくれませんでした。
 親元を離れて東京の大学へ入った彼女は、今度こそ剣道ができると喜び勇んで入部したのでした。
 初めて部に顔を出したその日から、他の新入部員三名と共に、キャプテンが基礎から丁寧に教えてくれました。
 素振りをするにも、「腕を絞れ!」とキャプテンの檄が飛びます。竹刀がフラフラして、なかなかうまくいきません。何十回、何百回と振っているうちに、腕も上がらなくなります。あるいは、摺り足の練習の時には、「なんか君の摺り足を見ていると、踊ってるみたいだな」と言われたりもします。
 それでも、彼女は喜々として部に通っていました。 踊っているように見える「摺り足」でも、根気よく指導してくれているキャプテン。彼女は、剣道部に入部して三日も経たないうちに、そのキャプテンがとても遠慮している人がいることに気づきました。
 その人は学生にしては少し老けて見えるのですが、コーチとか講師にしては若すぎます。
 すぐに、彼は一年留年している五回生で、前の主将だったということが分りました。剣道の腕はかなりのもので、様々な記録を持っているということも聞きました。
 日が経つにつれて、初めて見た時の無口でとっつきにくい印象は、次第に彼の男らしさと彼女の目に映っていくようになりました。 彼女が彼に憧れの想いをい抱くのには時間がかかりませんでした。練習のあと、部員みんなで喫茶店へ繰り出し、そこで雑談するのが一日の一番の楽しみとなっていきました。彼女は彼の存在を身近で感じ、彼の声を耳にすることだけで幸せでした。
 ところが、連休を利用して東京へやってきた両親に、竹刀や胴着を見つけられてしまったのです。父は激怒しました。
 「あれほど言ってあったのに、竹刀を振り回すために大学へやったんではない!すぐさま剣道など辞めなければ家に連れ帰る!」と言い出したのでした。
 連休に彼女の様子を見に来た父は、竹刀と胴着を発見して激怒しました。
 「竹刀を振り回すために大学へやったんではない!すぐさま剣道など退めなければ家へ連れ帰る!」
 女が竹刀など振り回していれば嫁のもらい手がないというのが父の口癖でした。 二十四、五年前のこととはいえ、彼女の父親はかなり古風な考え方の人でした。しかも、子は親に従うものと頭から決めてかかっているのです。親元から離れているのをいいことに父の厳命に従わず、内緒で剣道を続けていたということが分れば、彼女は勘当同然になるということくらい、父との十八年のつきあいで嫌というほど思い知っていました。 
 彼女は泣く泣く剣道部に退部届けを出しに行ったのです。キャプテンは突然の彼女の退部の申し出に驚き、懸命に慰留してくれました。しかし、いくら引き留めてもらっても留まる訳にはいきません。
 チラッと彼の様子を伺いました。彼は彼女とキャプテンの話が聞こえているはずなのに、素知らぬ顔をして素振りをしていました。 剣道部道場から出た彼女は、急に涙が溢れ出ました。もうこれで彼との繋ながりがなくなったのだと思うと、どうしても涙を止めることができませんでした。その日、彼女は同級生に出会わないように、裏道をすり抜けて校門を走って出たのでした。
 それから半年、部活を退めた彼女は夕刻からの空いた時間を埋めるために、アルバイトに勤しみました。あれから彼とは顔を合わすことはありませんでした。剣道部へ行かない限り、広い学内で、多くの学生の中から彼の姿を見つけることは不可能でした。とは言っても、彼の姿を見るために部室へ行くなどという勇気は、彼女にはありませんでした。 
 「私の片想いに決っているのだから、どうなるものでもない」彼女は、ほとんど諦めかけていました。
 秋の学園祭も終り、季節は冬に入ろうとしたころ、彼女は一通の手紙を受け取りました。差し出し人は彼でした。彼女は驚き、封を切る手ももどかしく、急いで手紙を開けました。
 それは彼からのラブレターでした。
 彼女は我が目を疑いました。まさか、彼が自分のことを想ってくれていたなどとは信じられない思いでした。
 あれから二十四年。その手紙に何と書いてあったのか、彼女は今となってはよく覚えていませんが、一行だけ鮮明に記憶に残っている部分があります。

<続く>

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プロフィール

佐藤あつ子

Name:佐藤あつ子
大阪府出身。奈良教育大学を卒業後、自らの「思い出の人を探したい。しかし、あまりにも料金が高すぎる」という経験から、従来のイメージを払拭した調査業者を目指し、昭和63年10月「初恋の人探します社」を創業。思い出の人探し(所在調査)をはじめ、家系図調査、企業調査など、長年培ったノウハウを元にした独自の調査方法で、判明率は90%以上を誇る。
また執筆活動においても大阪新聞に連載された「秘密のあつ子ちゃん 美人探偵・調査ファイル」のエピソードをまとめた「初恋の人、探します」(遊タイム出版)が、日本リスクマネジメント学会第3回RM文学賞を受賞。平成10年には松竹新喜劇において、同書を原作にした舞台「初恋の人探します社」(渋谷天外脚本)が上演された。
その他にも、ラジオ・テレビ出演、雑誌寄稿、起業家への創業支援や大学でのアントレプレナー養成などでの講演など、各分野において精力的に活動している。

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