あっこのブログ

おばちゃん探偵、法科大学院に学ぶ。

Date:2016.09.05(Mon)16:31 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(22)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 昨年の暮のある日、事務所で私一人が残業していた夜のこと、一人の女性から依頼を受けました。
 彼女は四十六才。既に二人の子持ちで、主婦業のかたわらブティックを経営しています。彼女の依頼とは昔の恋人を探したいというものでした。
 「いえ、お互いにもう結婚していますし、今さらどうしたいということではないのですが、先日、彼の実家のそばを通る機会があり、懐しくて尋ねてみたんですが、サラ地になっていたんです」彼女はそう言いました。 
 彼女は結婚前に二つ年下の男性とつきあっていました。
 彼とは二十二才の時に先輩の結婚式で知り合い、二十八の年までつきあっていました。お互いに相思相愛で、彼女が所謂“適齢期”を迎えるころには“結婚”を意識し始めました。   ところが、二人の両親は彼女が年上だということで大反対したのです。“姉さん女房”が大はやりの最今なら、そういう問題は出なかったのかもしれませんが…。 
 二人は泣く泣く別れたのです。そして、それぞれ同じころに別の人と見合い結婚をしました。
 ところが結婚して二年ほど経ったころ、二人は偶然再会したのです。
 一度はお互いを諦めた二人でしたが、偶然に再会してからは時々会うようになったのでした。もっとも“密会”と言っても、喫茶店でお茶を飲みながら、家庭のことや仕事のことなどの世間話をするくらいが常でしたが…
 そんな日々が二年程続いたある日、彼は「妻が身ごもった」と彼女に告げたのです。
 彼の奥さんは、昔、夫に結婚したかった人がいたこと、そしてそれが彼女であることを知っていました。もちろん、今、こうして時々二人が会っているということは知らせてはいませんでしたが…
 「別にやましいことはないと言っても、いつまでもこんなことを続けていたら奥さんに申し訳ない」彼女は別れを決意しました。
 こうして、二人は彼に子供ができたことを契機に、もう連絡を取らないでおこうと話し合って別れたのでした。
 ですから、彼女は彼のことが気になっても、決して自分では探せないのでした。彼女の名前すら聞こえてはならないのです。
 私達はまず、サラ地になっていたという彼の実家近辺に聞き込みに入ったのです。すると、意外なことに…
 この続きはまた明日にお話しすることにしましょう。
 私達が彼(44才)の実家があった場所に出向くと、確かにそこはサラ地になっていました。ところがその向側の家に、彼と同姓の表札が出ていたのです。
 私達はその家は省いて、隣近所に聞き込みに入りました。
 「いやぁ、あのお家やったら五年程前に向いの土地に新しく家を建てはって、今は息子さん達とご一緒にお暮らしですよ」
 やはり、その家が彼の家だったのです。
 こうして、彼の所在は易く判明してきたのですが、問題は次でした。
 依頼人は(46才)は、「決して私の名前を出さないように」と希望していました。彼の奥さんが、昔自分の夫が彼女と交際していたことを知っていたからです。しかも、彼の交友関係を全て把握しているため、見ず知らずの者が突然訪ねていったり電話するのは奥さんに変に勘ぐられ、彼に迷惑をかける恐れがあるので、それも控えてほしいということだったのです。
 要は彼の出勤途中か帰宅途中を掴まえて、彼女のメッセージを伝えるしかないのです。
 ところが彼女の要望には、尾行や張り込みは料金が張るので、できるだけ違う方法を考えてほしいということも加わっていたのです。
依頼人(46才)の要望で張り込みという手段が取れないとなると、あとは電話をして彼が直接受話器を取るということに賭けるしかありません。
 ところが、スタッフの聞き込みによると、彼の帰宅時間はかなり遅いと分ってきました。彼が帰宅した時間を狙って電話するにしても、常識はずれの深夜にかける訳にもいきません。
 私は策に窮してしまいました。彼女自身も頭を抱えていました。が、彼女の「何とかしてほしい」という想いだけはひしひしと伝わります。
 ある日曜日のこと、私はこざっぱりした格好で、彼の家に向いました。午前十時ごろのことです。「帰宅が遅い」という彼は、日曜日のこの時間ならまだ自宅で寝ているか何かしていると踏んだのでした。
 彼の家は、昔、借家だったものを新しく二階建てとしてモダンに建て直したようで、両隣とは軒を連らねていました。
 インターホーンを押すと、奥さんの声がしました。
 「はい、どちらさん?」 「突然申し訳ございません。佐藤と申しますが、ウチの主人がこちらのご主人と大学時代の同級生で…」 「ご主人はご在宅でしようか?」という言葉を私に言わせる間もなく、奥さんは「ちょっと、待って下さいよ」と言って、「あなたぁ」と奥へ声をかけました。 バタバタという音がしてドアが開かれると、彼が出てきました。
 「誰だろう?」と不審そうな顔をしている彼にはお構いなしに、私は奥さんに聞こえてもいいように、というよりむしろ、奥さんに聞こえるようにわざと大きな声で、「初めまして。私、大学で同期でした佐藤の家内ですが…」と言います。 「えーと?佐藤?」言いたげな彼に言葉を発せさせないように、私は更に続けます。
 「突然申し訳ございません。実は、主人は先日入院いたしまして、ずっとベットに寝ていると昔のことが懐しくなるようで、学生時代の仲間に会いたいと言うようになりまして…」そう言いながら、私は用意してあった「〇〇さんの件で、お伺いしました」と書いたメモを彼の目の前に差し出しました。 
 これで、彼は全てを理解してくれるはずだと私は考えていました。ところが、これは後で分ったことですが、彼女は私達に嫁ぎ先の苗字を言っていたのです。彼が知っていたのは彼女の旧姓でした。
 それでも、彼は勘のいい人でした。直接彼女のことだと分らなかったようですが、「何か訳がある」と感じてくれて、「ちょっとここは寒いから、向こうの陽なたで話しましよう」と私を連れ出してくれたのです。 お陰で、私は奥さんに不審がられず、彼女が連絡を取りたがっていることを伝えることができました。奥さんに無用な不快感を与えたり、おかしな邪推をされるのを避けるために、こんな手を使わざるを得なかったという説明も付け加えたのは勿論のことです。
 彼は早速明日にでも彼女に電話を入れてみると言ってくれたのです。
 彼は彼女が連絡を取りたがっていると私から聞いた時、あまりに突然のことなので、初めは彼女の身に何かあったのではないかと心配しました。しかし、私の説明でそういうことではないと分ると安心したようでした。 
 「いやぁ、連絡の取りようがなくて、随分困りましたけど、苦労の甲斐がありましたわ」私はそう言って、彼の家を後にしたのでした。 彼は、約束通り、翌日には彼女に電話を入れたようです。当社に、彼女から「連絡が取れた」と喜びの電話が入りました。「近々、会う約束をしました」彼女は嬉しそうにそう言いました。 
 二週間ほど経ったころ、彼女からの葉書が届きました。
 「お陰さまで、十四年ぶりに再会することができました。本当にありがとうございました。会ったら急に昔に戻ったようで、涙、涙の再会でした。また桜の咲くころに会う約束しました。嬉しかったです…」
 踊り出してしまいそうな彼女の喜びがひしひしと伝わる葉書でした。満面の笑顔が思い浮かぶような葉書でした。
 それは、つい三ケ月程前の二月の中ごろのことの話です。

<終>

Date:2016.08.04(Thu)18:41 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(21)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 阪神大震災の直後、私は創業以来より当社に依頼して下さった阪神間在住の全ての依頼人さんにお見舞いと安否確認を行いました。電話の通じる所は電話で、それが不可能な所は葉書で…。 
 その結果、神戸市北区在住の依頼人さんが実家に戻っていた奥さんを心配してバイクで向う途中、直後の余震で転倒し、腕を若干怪我された以外、皆さんご無事でひと安心したものです。 当社からのこうした連絡を皆さん一様に喜こんで下さり、上記の依頼人さんなどは電話口で、「もう何年も経っているのに私のことを覚えてくれていて、よくまあ連絡を下さいました。今回の地震で、私は怪我をしましたが、人の心の優しさがいやという程、身に染みました」と涙声で話されたものです。
 そんな折、私は一通の葉書を受け取りました。
 「ご心配をおかけしました。その後、皆さんはお元気ですか?四年前には本当にお世話かけました。私は平成四年四月に結婚し、この地震でも夫婦共無事で、元気に暮らしていますのでご安心下さい…」
それは、平成三年の夏に依頼を受けた神戸市灘区在住の三十九才の男性からのものでした。
 彼(当時三十五才)が依頼してきたのは、四年前の夏のことでした。
 彼は当時、ある女性に恋をしていました。彼女は三十才で、離婚経験があり、六才になる女の子を引き取っていました。
 彼としては、彼女がバツイチであるとか、子持ちだとかということは全く気にしていなかったですが、一つ問題がありました。それは彼女と知り合った場所というか、彼女の「勤務先」です。実は、彼女はデートクラブのデート嬢だったのです。 
 こうした仕事の女性のほとんどがそうであるように、彼女もまた自分の住所や自分自身についての詳しい話をしませんでした。彼がそうした話題に触れると、彼女はそれとなく話をかわすのです。
 彼はかなり本気でした。プロポーズしようかとも考えていました。しかし、あまりにも彼女自身のことを知らなすぎていました。もっときっちりと彼女のことを知りたいと思っても不思議ではありません。
 そこで、当社にやってきたということになるのです。 「まずは、どこに住んでいて、どんな生活をしているのかを知りたいのです」彼はそう言いました。
 そうしたことを知るには、彼の手持ちの材料からでは彼女を尾行するしかありませんでした。
 彼(当時35才)の依頼とは、とにもかくにも彼女(30才)がどこに住み、どんな生活をしているのかということでした。
 「となると、これだけの手掛りですと、尾行するしか手はないですね」私はそう答えました。
 私と依頼人は、早速尾行に入る手筈を打ち合わせたのです。
 依頼人が彼女との次のデートのコンタクトが取れた時点で、彼が当社に連絡を入れる。そしてその当日、彼女との待ち合せ場所に、依頼人の顔を見知っている私が尾行班のキャップを連れて行き、顔確認をする。その後、二人のデート中から尾行班は尾行を開始し、彼女の住居を確認する。手筈はこうでした。
 尾行当日、別件で動いていた私は、尾行班とドッキングするために依頼人が指定してきた場所へと向いました。そこは、キタの繁華街の一角で、その時間にはかなりの人出でした。私は尾行班のキャップは依頼人との約束の時間より前に落ち合うことになっていたのですが、大変な雑踏の中でキャップが見当りません。 「今、どこや?」私はキャップの携帯電話に電話を入れました。すると彼は、「社長の目の前にいる」との答えてきたのです。振り向くと、彼は私の後ろに立っていました。尾行班というものは、いくら影のような存在にならなければいけないとはいえ、「それやったらはよ言えよ!」と私は言ったものです。
 尾行班は私の指示に従い、依頼人(35才)と彼女(30才)の顔を確認すると、早速張り込みの態勢に入りました。私はと言えば、後は彼らに任せ、事務所へ戻って結果連絡が入るのを待っていたのでした。
 依頼人と彼女は喫茶店を出ると、ホテルへ入って行きました。
 二時間後、出てきた彼女の後を尾行班が追います。 私達は依頼人から彼女の動きは“歩き”だと聞かされていました。別れると店へは戻らず、いつも地下鉄に乗って帰宅すると言うのです。尾行班は“歩き”班一班と、念のために“車両”班一班を準備していました。
 二人は駅前で別れると、彼女は依頼人の言うように正しく地下鉄のホームへ入っていきました。
 ホームへ入る直前に公衆電話で一本電話を入れています。おそらく店への報告だと考えられました。電話番号の下四ケタは確認することができました。
 雑踏の中、背後にぴったりと尾いたメンバーの一人が彼女が券売機で買う切符の値段が確認すると、メンバー全員分の切符を素早く買い、後に尾いていきます。車両班は歩き班の連絡を待ちながら、地下鉄の進行方向に車を走らせるのです。 彼女が下車しました。  歩き班は地上に出ると、車両班に下車駅を連絡します。車は近くまでやってきていました。
 彼女が改札を出ます。尾行班は、彼女が駅から歩くかバスに乗るかして帰宅するだろうと想像していました。
 改札を出た彼女は地上に上ると、交差点で立ち止まりました。一分も経たないうちに、彼女の前に一台の車が停車しました。彼女はそれに乗り込みます。車はすぐに発進しました。車両班は近くまで来ているとはいえ、これでは間に合いません。
 歩き班は、すぐさまタクシーを捕まえます。 
 「あの前の車を追ってくれ!」運転手さんにそう伝えます。
 「お宅ら、刑事さんでっか?それとも探偵屋さん?」運転手さんは興味しんしんらしく、いろいろと聞いてきます。
 「とにかく、見逃がさないように、頼みます!」尾行班は叫びます。
 「いやぁ、なんか緊張しまんなぁ」と運転手さん。 こういうことって、結構あるんです。ところが、何故か口数の多い運転手さん程よくまかれてしまいます。従って、いろいろ聞いてくる運転手さんには、思わず「緊張なんかせんでもええから、まかれんようにしてくれたらええねん!」と言いたくなってしまいます。が、そこは余計な減らず口を叩くと却って運転手さんの集中力を欠くので、じっと前方の車を凝視しているという具合になるのです。 その運転手さんは、やはり懸念した通り、黄信号で突っこんでいった彼女を乗せた車を追い切れず、結局見失うハメとなったのでした。悔しさ一杯の尾行班は運転手さんに当たる訳にもいかず、地踏鞴を踏みました。追いついてきた車両班とドッキングした後、すぐにその辺りを探し回っても、もはや例の車は見つかるはずもありませんでした。  尾行班のキャップは追いきれなかったタクシーの運転手さんに対して非常に腹を立てたものですが、そこは素人のこと故そこまで要求してあげるのは無理というものです。
 「社長、えらい優しいでんな。僕らには『死んでも尾いていけ!』と言うくせに」とキャップ。私は薮蛇になってしまいました。彼らは自力でやれば絶対にまかれることはないという自負を持っています。従って、まかれてしまったことがよほど悔しかったようです。 依頼人も不可抗力とでも言うべきこの情況を理解して、「もう一度してほしい」と言ってきました。
 二回目の尾行前日、尾行班は彼女の下車駅にバイクを運んでいました。彼女にはまた例の車が迎えに来たのですが、お陰でその日は何なく彼女の居所を突き止めることができたのです。 しかし、様子から言って、どうも男と暮らしているようでした。
 報告を受けて依頼人がどうしたのか、私は知りません。
 しかし、四年ぶりに届いた彼の葉書から察するに、彼の恋はあれで終ったようです。もっとも、彼女のことを引きずることなく、今は幸せに結婚をしているという文面を見て、彼にとってあの調査は、あれはあれでよかったような気がしています。

<終>

Date:2016.07.06(Wed)18:38 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(20)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 そして、ついに“彼女”はその本音を明らかにし始めたのです。
 そもそも彼女をは自分への手紙の宛先を大阪中央郵便局の私書箱に指定していました。
 「本当の住所とか、電話番号とか、その他自分の身許が判明するようなことは何一つ教えてくれようとはしませんでした」
 彼は私宛の手紙でそう書いています。
 いつまでたっても自分の住所を明らかにしないことに対して、依頼人(27才)は彼女を責めました。すると、彼女はそれは、「女というのは弱い立場にあるからです」と返答してきたのです。 
 半年程文通を重ねた後、彼は真剣に彼女との結婚を考えるようになりました。彼女に一度丹後に来て、両親に会ってほしいと要望しました。
 それに対して、彼女はこう答えてきたのです。
 「貴男のご家庭が立派であるのに、ゆかりは母子家庭で、それに父の入院費用や葬式代などの借金が百七十万円ほどあります。それを返済しない限り、結婚など考えられません。それに母が病弱で、ゆかりが必死に働いて面倒を見ているのです。こんなゆかりなんかより、貴男にはもっとふさわしい人と一緒になってもらって、明るく楽しい家庭を築いて欲しいです」
 「借金を返さない限り、結婚どころではない」
 依頼人(27才)の結婚の申し出に対しての彼女の返事はこうでした。それを見て、彼はますます彼女を思い切ることができなくなっていきました。「障害が金のことだけなら、自分が援助すればいい」と思ったのです。
 その年の暮、彼はとりあえず七十万円を彼女のために用意しました。そして、それを彼女に直接手渡したいと申し出たのです。
 すると、彼女は「記念すべき最初の出会いが援助のお金を受け取るだなんて、そんな思い出は作りたくない」と言ってきました。そして、金を出してくれるなら、例の私書箱へ郵便為替で送ってほしいとまで書いてありました。
 彼女は直接会うどころか、あくまでも自分の住所や銀行口座も明らかにしません。彼としても少なからず不安を感じましたが、それ以上に自分の誠意を彼女に見せたいという想いが勝って、彼女に言われたとおり、七十万円の郵便為替を私書箱宛に送ったのでした。
 ところが、年が明けると今度は、彼女の母が肺ガンと診断され、自分は仕事も辞めて看病にあたると連絡してきたのです。もちろん、言外には生活費にも困っているということを臭わせて…。
 母の緊急の入院と手術のためにさぞかし金にも困っているだろうと、依頼人(27才)は懲りもせずさらに五十万円を送ったのです。 数日後、彼女からお礼の手紙が届きましたが、それはごく短い、素っ気ないものでした。その後も彼は何度か品物を送りました。しかし、彼女からはその都度短い礼の手紙が来るだけでした。
 そのころには、彼はもう彼女以外考えられませんでした。
彼は不安でした。手紙の内容が素っ気なくなっているのは、彼女自身が言うように看病疲れとも考えられましたが、援助した百二十万円を彼女が返してくることを心配していました。金のつながりであろうと、彼は彼女と縁が切れてしまうことを一番恐れたのです。 思い余って、彼は姉にこれまでの一部始終を説明し、相談に乗ってもらいました。 翌日、お姉さんから彼に電話が入り、調べてみると彼女の宛先となっている私書箱の名儀の会社は存在しない旨を伝えてきました。お姉さんは、「もう一度、きっちりとゆかりさんの身許を調べた方がいい」と言ったのでした。
 しかし、彼は、この時点でも彼女のことを百パーセント信じていました。
 依頼人(27才)はお姉さんに反論しました。彼女に限って、自分を騙しているなんてあり得ないと。
 そして、彼女にお姉さんが言ったことを手紙に書いて送りました。その上で、「このような見方をする人もいますから、それを打ち消すためにも、近い内に是非一度家へ来てほしい」と付け加えたのでした。
 数日経って、彼女からの返事が届きました。その内容はかなり憤慨したものでした。「ゆかりは人を騙したりするような人間ではありません。お姉さんにそのことをはっきり言って下さい。それに、ゆかりは、今、母の手術を控えて大阪を離れる訳にはいきません。貴男こそ、ゆかりの状況を察して下さい」
 彼は彼女の意見に心底納得し、謝りの手紙さえ出しています。
 しかし、その後、彼女からの手紙の回数は減っていき、春も終わろうとするころには全く届かなくなりました。
 六月に入ると、彼はもうこのままではどうしようもないと、休日や代休を利用して、彼女を探すために大阪へ通いました。
 彼はまず、彼女からの手紙が東淀川局の消印が多かったため、東淀川区役所を訪れたのです。しかし、「個人に関する情報についてはみだりに教えることはできない」と蹴られてしまいました。また、私書箱についても問い合わせに行きましたが、これもまた、「一切教えられない」と断わられています。これについては、裁判所の令状が必要だと言われたのでした。さらに、彼は東淀川区内の病院にも彼女の母が入院していないかを尋ねに足を運びました。しかし、該当者はありませんでした。そして、最も大きな手がかりと考えられる七十万円と五十万円の郵便為替に関してもいろいろと調べています。何度も郵便局と交渉し、やっとの思いで為替の住所の写しを手に入れることができたのですが、この住所を訪ねてみると、彼女が偽りの住所を郵便局に届けていたことが明らかになったのでした。
 彼はついに東淀川警察や曾根崎警察にも相談にいきました。ところが、警察では話をちゃんと聞いてくれたものの、流れが彼の意図とは違うものとなり、彼としては不満の残るものとなったのです。家出人捜索でさえ“民事不介入”のため動かない訳ですので、警察では「ゆかり」なる人物を当然探す動きはしませんし、事件として処理するにはあまりにも証拠がなさすぎます。
 彼が当社に手紙を出してきたのは、数ケ月にわたるこうした独自での調査を行い、自力では到底拉致があかないと判断した上でのことでした。
 数日後、彼は直接当社へやってきました。彼は腑に落ちないことが多すぎると言いながらも、「そんな悪いことのできる人間とはどうしても思えないのです。何とも狐につままれたような話です」と言い、「ゆかり」なる人物が実在しているとまだ信じているようでした。
 彼の依頼とは、もちろん彼女を探してくれというものでしたが、私は「それについていては無駄だ」と彼を説得し始めました。
 この「ゆかり」なる人物は実在する可能性が少ないと、私は依頼人(27才)に話しました。
 しかし、彼は「人を騙すような女性とは思えません」と不満そうで、どうしても納得してくれません。
 次第に私は、彼に事実を認識してもらうのは、彼女が実在しないことを証明する以外方法はないように思えてきました。
 彼はさらにこう続けました。「どうしても彼女を見つけ出し、直接会って、彼女の口から今までの経緯を説明してもらわないと死んでも死に切れません」
 「調査に入ることは可能ですが、万が一、私の予想が正しければ、『ゆかり』さんは存在しないということの証明をするだけにしかなりませんよ」
 やむなく私はそう答えたのでした。
 すると、彼の表情は途端に明るくなり、言いました。「それでも結構です。僕としてはこちらできっちりした調査をしてもらって、それでも見つからなければ、もう他社に頼むつもりはありませんから、何とかよろしくお願いしたいのです」 こうして、私達はおそらく実在しないであろうと分っている人物の所在調査に入ることになったのでした。
 私達が「ゆかり」なる人物の所在調査を開始して分ってきたことは幾つかありました。それは結局、彼女が実在しないということの証明に繋がることだったのですが…
 私達はまず私書箱を設置できる条件から調べました。その条件とは、不特定多数の人から郵便物が毎日届く企業か個人であること、そして、その郵便物を毎日取りに来れる者ではならないということでした。申し込みの手続きは住所・氏名・電話番号を申請用紙に記載して捺印し、万が一、郵便物が紛失された場合、異議申し立てをしない旨の誓約書を提出すればOKでした。 ところが、その私書箱の名儀-彼女が「自分の勤務先」と言っていた会社は、商売をしているにも関わらず、電話帳の登録をしていませんでした。不特定多数から頻繁に郵便物が届くはずの企業が電話帳に掲載していないこと自体、不自然と言わざるを得ません。
 郵便局では、当然その申し込み者の住所や連絡先については教えてくれません。やはり、それについては裁判所よりの命令がない限り明らかにできないということだったのです。しかし、スタッフの粘り勝ちで、彼女から依頼人への手紙が途絶えたころ、その私書箱は解約されていることだけは教えてもらえたのでした。 もちろん、私達はそれ以外の調査も行っています。 彼女の母親が肺ガンで入院しているとの材料から、東淀川区内だけではなく、大阪市内で内科・循環器科の設備の整った百八十四の病院を軒並みに当たりました。しかし、該当者はありません。
 次に、私達は、依頼人(27才)が彼女は東淀川区か淀川区の出身だとの主張していることからこの二区の公立中学校十四校と、大阪市内の私立中学校十四校を当たったのです。しかし、こうした中学校でも「天野ゆかり」なる人物は存在しませんでした。
 また、大阪市内の「天野」姓、十九軒も当たりましたが、「ゆかり」という娘さんがおられるご家庭は一軒もなかったのです。
 さらには、彼女が郵便局に届けていた百二十万円の郵便為替の受け取り住所(これは依頼人自身が動いて、「偽りの住所だった」と言っていたものですが)の近所へ、念のため、写真を持って聞き込みに入りました。しかし、以前も現在も、この写真の人物がその住所に出入りしている形跡が無く、それどころか全く別人が住んでいることが明らかになってきました。
 こうして調べれば調べる程、「天野ゆかり」なる人物が彼に嘘を言っていることが明白になっていったのでした。
 私達の調査が進めば進む程、それは彼女が実在しないということの証明となっていったのでした。
 依頼人が「彼女は大阪の短大か専門学校を卒業していることは間違いない」と強調するので、前回お話しした調査以外にも私達は大阪府下の短大と専門学校、百六十七校を当たっています。しかしこれもまた、彼女に該当する人物は発見できませんでした。
 もちろん、私達は彼女が手紙の送り先に指定していた私書箱の名儀-彼女の“勤務先”についても調べています。これについても、依頼人のお姉さんが言うとおり実在しない会社でした。 私達がこうした調査を行っている間も依頼人は結果を待っていられないのか、独自で動いていることが分ってきました。中学校や病院に返信用封筒を同封して照会をしたり、直接何度も訪ねたりしているのです。しかし、返事を貰えるどころか全く無視され、彼は「落胆した」という手紙を寄越してきました。
 私達が聞き込み先の様子がどうも変だと思っていた矢先のことで、一度や二度ならともかく、ひつこい程問い合せや照会を行っているこの様な彼の動きは、かえって当社の調査に支障が出てきていたのです。
 「独自に動かれるのは結構だが、こう、こちらの調査の邪魔になるような動きを続けられるのなら、当社としては本件から手を引かざるを得ない」依頼人の勝手な動きが私達の調査に支障がきたし始めたため、私は彼にこう注意せざるを得なくなったのでした。
 それからというものは、さすがの彼もむやみやたらにひつこく聞き込みに入って、関係者に嫌がられる行為を少しは謹んだかのように見えました。しかし、あのうさん臭い男女交際の会へは、引き続き再三再四に渡って「天野ゆかりさんの住所を教えろ」と詰め寄っていたようでした。彼のあまりの剣幕に、この件の張本人も少しは「やばい」と感じたのでしょう。「天野というのは偽名で本名は松本と言う。住所は…」と回答してきたのでした。 
 その回答を得た途端、彼は鬼の首を取ったかのように息せき切って連絡してきました。
 「それも嘘や」と、再びそう説得するのは随分と骨が折れたものです。ところが、彼は私がどう説明しようと、またもや納得しません。 しかも、「彼女の本名が確認された以上、調査は比較的スムーズに進展すると思います」という手紙まで送ってきたのでした。 私は「まだ言うか?」と少しむかつきもし、呆れもしました。さらに、彼は「なお、これ以降はあなたが言われるように、この調査活動より一切身を引くつもりでおりますので、早い時期に吉報を受けれることを期待しております」と言っています。私は決して自分が騙されたということを認めようとしないこの依頼人には、酷のようでも事実を認識させてあげることしか救われないと思うようになってきていました。
 私はほとんど意地のようになって、スタッフに写真を持たせて、この会が彼に回答してきた住所へ向かわせたのでした。聞き込みの結果、“松本ゆかり”さんは確かに二年前までその住所に住んでおられましたが、案の定、年令も顔形も全く違う別人であることが判明してきたのです。
 そんな中、私はその男女交際の会へ全く架空の男性名で入会申し込みをしてみました。住所は当社の所在地にしてです。依頼人と同じ手口で、私が作った架空の男性に接近してくるようなら、もうその意図は明白ですし、証拠の一つともなります。既に「ゆかり」なる人物が予想通り実在していないことが明らかになりつつあったこの時点では、私は依頼人にとって一番いい解決方法は事件として立件できる材料をできるだけ集めてあげることしかないと考えていました。
 私は依頼人に調査の結果の内容を報告すると同時に、最初の経緯から含めて「ゆかり」さんが実在していると考える方がいかに不自然であるかということを改めて説明し、そして「一度弁護士に相談した方がいい」と伝えたのでした。すぐさま彼からは「是非、弁護士さんを紹介してほしい」という返事が返ってきました。 私は当社の顧問弁護士を彼に紹介したのです。後で聞くところによると、弁護士の意見も私の意見とほぼ同じものでした。
 ところが、彼の考えはあくまでも頑なだったのです。 依頼人(27才)が弁護士に相談に行ってしばらく経ったある日、彼からまた手紙がきました。
 「私としては大変期待していた弁護士との会見も何の収穫もないままに終ってしまいました。私は、あくまでもゆかりさんは実在していると信じていますし、会が自作自演したなどとは思いもよりません。相談に行ったのは、ゆかりさんの所在を把むヒントを何か与えて下さるかもしれないと思ったからです」それはこうした書き出しで始っていました。
 それを読みながら、私はまたもや「まだ言うか?」と頭痛がする思いでした。 彼はさらにこう続けています。「これからは、一生かけても、自分なりの方法で地道に彼女を探していくつもりです。長い間、大変良心的に調査していただき感謝しております。また相談させていただくことが出てきましたら、その時はよろしくお願いします」
 私は、彼が一生この問題を引く摺っていくのかと思うと暗澹たる気持ちになりました。と同時に、そうさせてしまう彼の事実を見ようとしない頑さを哀しく思えてなりませんでした。
 ところで余談になりますが、あのうさん臭い男女交際の会からは、会の名称や住所を頻繁に変えて、私が申し込んだ架空の男性名宛に案内が、未だに当社へに届けられています。

<終>

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プロフィール

佐藤あつ子

Name:佐藤あつ子
大阪府出身。奈良教育大学を卒業後、自らの「思い出の人を探したい。しかし、あまりにも料金が高すぎる」という経験から、従来のイメージを払拭した調査業者を目指し、昭和63年10月「初恋の人探します社」を創業。思い出の人探し(所在調査)をはじめ、家系図調査、企業調査など、長年培ったノウハウを元にした独自の調査方法で、判明率は90%以上を誇る。
また執筆活動においても大阪新聞に連載された「秘密のあつ子ちゃん 美人探偵・調査ファイル」のエピソードをまとめた「初恋の人、探します」(遊タイム出版)が、日本リスクマネジメント学会第3回RM文学賞を受賞。平成10年には松竹新喜劇において、同書を原作にした舞台「初恋の人探します社」(渋谷天外脚本)が上演された。
その他にも、ラジオ・テレビ出演、雑誌寄稿、起業家への創業支援や大学でのアントレプレナー養成などでの講演など、各分野において精力的に活動している。

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