あっこのブログ

おばちゃん探偵、法科大学院に学ぶ。

Date:2016.12.27(Tue)12:24 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(26)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 「…気品を備えていて、それでいてしたたかさを持った君を…」そういう言葉でした。
 「したたか」と言われて、十八才の彼女は自分がどう評価されているのかがよく分りませんでした。そのために、未だにその言葉を忘れられないでいたのでした。 それでも彼女は、三日後、指定された時間に彼が待つ部室へ向かったのはもちろんのことでした。
 剣道部の部室は新しいプレハブの部室が立ち並ぶ一番手前の古い木造の一室でした。男子部員の多いクラブらしく、内部は乱雑に竹刀や胴着が置かれ、戦前からあるというその部室は三畳ほどの畳が敷かれていました。畳の上にも物が雑然と置かれ、冬になるとその真ん中に部員達は電気ごたつを置いていました。ですから、四人座ればもう足の踏み場もないという状態でした。
 彼女が恐る恐るドアをノックすると、中から彼の声がしました。
 ドアを開けると、彼一人がこたつを前にして座り、難しそうなぶ厚い本を読んでいました。五回生で、ほとんど授業のない彼は、こうして日中の時間を過ごしていたのです。
 ドアの前に突っ立っている彼女を見て、彼は「まぁ、とにかく座れば?」と言いました。
 彼女は彼の顔を見た途端、カチカチになっていました。 別に内気でおとなしい訳でもないのに、むしろ明るく可愛い気のあるその性格で、高校時代は何人ものボーイフレンドができたし、気軽にも諜べれていたにも拘わらず、その時の彼女は全くの硬直状態でした。十八才の彼女は、二十三才の彼が随分と大人に見えたのです。そして、一体何を話していいのかということさえ分らなかったのです。 
 片想いだと思い込んでいた四年先輩の彼からラブレターをもらったのは、彼女が大学一回生の冬になろうとしていたころです。
 半信半疑で、指定された日に剣道部の部室に向いました。彼に促されて、狭い部室の畳の上に置いてある電気ごたつの前に座ることには座ったのですが、彼女は何も話せずにいました。 別に内気であるために男性と喋れないというのではありません。高校時代は結構もてたし、何人かのボーイフレンドともつきあってきました。
 しかし、彼の前では自分が別人になったように、言葉を発することさえできなかったのです。
 剣道の指導は主にキャプテンがやってくれていて、彼は一人黙々と自分の練習をしていました。彼が彼女に直接話しかけるなどということはありませんでした。しかも彼は無口で、彼女はほとんど言葉を交したことがなかったのです。そもそも入部した時からキャプテンや四回生、三回生の先輩達から「すごい人だ」と聞かされてきました。そうしたことが、彼女にとって彼は「近よりがたい存在」、「ただ憧れの目で見ている存在」としか思えませんでした。だから、ラブレターをもらっても、すぐには納得できなかったのです。  その時、彼女はガチガチに緊張していました。
 彼は彼女が一言も言葉を発しないので、話題を探すように、今読んでいるぶ厚い本の話を始めました。それはカントかヘーゲルの哲学書で、彼女にはその内容が難しくてよく分りませんでした。高校の社会科の論理の授業で少しは習っていましたし、彼の言葉を一言も聞き漏らさないように耳を凝らしているのですが、彼の話す哲学の難しい話題を理解できないことが、ますます彼が自分とは別の次元の人だと思えてくるのです。 
 ふと気づくと、彼は本の話はとっくにやめていて、彼女に出した手紙のことを話していました。そして、「つきあってほしい」というようなことを彼女に語りかけていたのです。
 彼女は相変らず言葉が口から出てきませんでした。 彼が「構わないかい?」と彼女の返事を促します。彼女はこっくりと頷づくのがやっとでした。
 そのうち、彼はこたつの上に置いてあったりんごを取って、小さなナイフでそれを剥き始めました。少し剥いてから、急に気づいたように、「あぁ、こういうことは君にやってもらった方がきれいに剥けるね」と言いながら、剥きかけのりんごとナイフを彼女の前に差し出しました。
 彼女は大いに慌ててしまいました。
 彼にりんごを剥いてくれと言われて、彼女はとても慌ててしまいました。
 彼女はこれまで料理をしたことがないのです。母は彼女に掃除や洗濯をよくさせていましたが、包丁だけは持たせなかったのです。それは、父が味にうるさいということも原因していました。今、親元を離れているとは言っても、両親の知人の家で下宿していて、食事は下宿先のおばさんが全て作ってくれていました。 「いえ、私、へたですから…」 
 彼女は初めて口を開きました。
 「それでも、僕が剥くよりましでしょう」
彼女はやむなくりんごを受け取って、懸命に剥き始めました。
 その様子を少し見ていた彼は、「やっぱり、僕がした方がいいみたいだね。これじゃあ、僕以上に現代彫刻だ」そう笑いながら言うと、彼女からりんごを受け取って再び剥き始めました。 彼女は奈落の底に突き落された気分になっていました。「りんご一つも剥けないなんて…。彼はきっと私に失望して、気持ちも冷めたのではないだろうか?」そう思っていました。
 それでも、彼はその後、何回も彼女をデートに誘い出しました。
 「きっと彼は私に失望して、気持ちも冷めてしまっただろう」
 憧れの先輩からラブレターをもらい、初めて部室に赴いた日、彼の前でいいところを見せなければならない時に、あろうことか彼女はりんごひとつ満足に剥くことができず、自己嫌悪に陥っていました。それでも彼は、その後何回も彼女をデートに誘い出しました。 しかし、彼女は相変わらず彼の前ではいつもの自分らしく振る舞うことができませんでした。映画を観に行っても、公園を散歩していても、やはり喋ることはできません。彼の話をじっと聞きながら、いつもただおし黙っているだけでした。 彼は六人兄弟の末っ子で、両親を中学・高校時代に相次いで亡くしていました。長姉が母代わりとして彼の面倒を見、彼自身もまたこの長姉を信頼し、慕っていました。話の中から、彼の家庭環境のそんなことも分ってきました。
 ある寒い日、彼女は寺社巡りの好きな彼に誘われて有名なお寺の拝観に行きました。寺を出るころになって、彼が突然「姉さんに会ってくれないか?」と切り出してきました。 
 彼の吐く息の白さが今も鮮明に脳裏に残っています。その言葉を聞いて、彼女はまたもやびっくりしました。と同時に、彼の意図を図り兼ねていました。
 まだつきあって間もないのに、何故「母」と慕うお姉さんに会わせたがるのだろう?この前、結婚相手が決まれば、真っ先にお姉さんに紹介することになっていると言っていた…。ということは、私を結婚相手と見ているのだろうか?
 彼女はそうした疑問すら聞くこともできず、ただ一人で思いを巡らしていました。
 「年が明けたら、早々に時間を作ってくれないか?その時、姉を紹介するから」その日、駅での別れ際、彼はそう言って帰っていきました。
 それから彼女はずっと憂鬱でした。彼に結婚相手と見られていることが不愉快だというのではないのです。勿論、十九才になったばかりの彼女が「結婚」を実感持って考えられなかったのは当然です。が、それ以上に彼が本当に自分を愛してくれているのだろうかということが、最初からずっと信じられないでいたのです。いえ、もっと言うならば、彼の前でいつもの自分でいれない自身へのいらだちだったのかもしれません。
 クリスマス・イブの日、剣道部ではコンパが催されることになりました。退部した彼女でしたが、同級生の女子部員やキャプテンの誘いもあって、彼女もそのコンパに参加しました。盛りに盛り上ったコンパも終り、彼が駅まで送ってくれることになりました。
 いつものように黙って彼の後を尾くように歩いていた彼女に、彼が突然振り向いて言いました。
 「君はどうして僕といる時はそんなに喋べらないの?僕のことが嫌いなのかい?」    「いえ…」
蚊の鳴くような声でした。 「じゃあ、どうして?」 「…。」
 彼女はまた黙りこんでしまいました。
 その時、突然、彼は彼女を抱きしめたのです。
 剣道部のコンパで、あまり飲みつけない酒を勧められ、彼女は酔っていました。 ですから、彼に突然抱きしめられ時は何が起こったのかが分りませんでした。彼の顔が近づき、その唇が彼女の唇に触れた時にやっと事態が飲みこめたのでした。 
 彼女は咄嗟に彼を押しのけ、次の瞬間には泣き出してしまいました。
 四十二才になった今では、自らのことであるにも関わらず、あの時の若さ故の潔癖が理解しがたいものとなっています。
 「私は何故あの時泣き出してしまったんだろう?ファースト・キスでもなかったのに…」
 それは、今ではきっと彼とのつきあいの初めから素直に自分の気持ちを表現できなかったちぐはぐさから来ることなのだと思っています。
 あの日以来、二人の間は遠いていました。
 私達が彼女に彼の所在を報告できたのは、彼女が日本を発つ三日前のことでした。
 その三日間で、彼と再会し、二十三年前とは違って自分らしい態度で彼と会話を楽しんだかどうかは、彼女が既にヨーロッパへ行ってしまった今となっては確認しようもないことなのです。

<終>

Date:2016.12.05(Mon)10:11 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(25)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 その日、電話をかけてきた女性は、調査を依頼した場合どれくらいの期間で判明するのかということをしきりに聞いてきました。
 「ケースバイケースですので、一概にどれくらいの期間で判明するかということになりますと、調査に入る前からは申し上げられないのですが」
 私がそう答えると、彼女は、「実は、二週間後に日本を離れるので、それまでに探してほしんです」と言ったのです。
 彼女は四十二才。インテリアデザイナーで、建築士の資格も持っていました。これまで一緒になってもいいと思った人がいなかった訳ではありませんが、仕事に夢中になっているうちに結婚しないできました。
 今回、彼女は恩師の勧めもあって、建築分野の知識を深めるために、ヨーロッパへ二年間留学することになっていたのでした。 
 最近、彼女はよく夢に見る人がいると言います。一度目は「ああ懐かしい人の夢を見た」で済んだのですが、三度四度と重なるうちに、今どうしているのかが無性に気になり、日本を立つ前にどうしても会いたくなったのでした。
 今回の依頼人(42才、女性)が日本を離れる前に是非会いたいという人は、学生時代の恋人でした。
 彼女は東京の有名私立大学に通い、剣道部に所属していました。
 高校生時分から剣道に憧がれていました。「小手」や「面」で相手を打った時、一瞬全てが静止するような、あの緊張感が好きでした。 しかし、厳格な父は「女が竹刀を振り回して、嫁に行けるか!」と、決して剣道部に入ることを許してくれませんでした。
 親元を離れて東京の大学へ入った彼女は、今度こそ剣道ができると喜び勇んで入部したのでした。
 初めて部に顔を出したその日から、他の新入部員三名と共に、キャプテンが基礎から丁寧に教えてくれました。
 素振りをするにも、「腕を絞れ!」とキャプテンの檄が飛びます。竹刀がフラフラして、なかなかうまくいきません。何十回、何百回と振っているうちに、腕も上がらなくなります。あるいは、摺り足の練習の時には、「なんか君の摺り足を見ていると、踊ってるみたいだな」と言われたりもします。
 それでも、彼女は喜々として部に通っていました。 踊っているように見える「摺り足」でも、根気よく指導してくれているキャプテン。彼女は、剣道部に入部して三日も経たないうちに、そのキャプテンがとても遠慮している人がいることに気づきました。
 その人は学生にしては少し老けて見えるのですが、コーチとか講師にしては若すぎます。
 すぐに、彼は一年留年している五回生で、前の主将だったということが分りました。剣道の腕はかなりのもので、様々な記録を持っているということも聞きました。
 日が経つにつれて、初めて見た時の無口でとっつきにくい印象は、次第に彼の男らしさと彼女の目に映っていくようになりました。 彼女が彼に憧れの想いをい抱くのには時間がかかりませんでした。練習のあと、部員みんなで喫茶店へ繰り出し、そこで雑談するのが一日の一番の楽しみとなっていきました。彼女は彼の存在を身近で感じ、彼の声を耳にすることだけで幸せでした。
 ところが、連休を利用して東京へやってきた両親に、竹刀や胴着を見つけられてしまったのです。父は激怒しました。
 「あれほど言ってあったのに、竹刀を振り回すために大学へやったんではない!すぐさま剣道など辞めなければ家に連れ帰る!」と言い出したのでした。
 連休に彼女の様子を見に来た父は、竹刀と胴着を発見して激怒しました。
 「竹刀を振り回すために大学へやったんではない!すぐさま剣道など退めなければ家へ連れ帰る!」
 女が竹刀など振り回していれば嫁のもらい手がないというのが父の口癖でした。 二十四、五年前のこととはいえ、彼女の父親はかなり古風な考え方の人でした。しかも、子は親に従うものと頭から決めてかかっているのです。親元から離れているのをいいことに父の厳命に従わず、内緒で剣道を続けていたということが分れば、彼女は勘当同然になるということくらい、父との十八年のつきあいで嫌というほど思い知っていました。 
 彼女は泣く泣く剣道部に退部届けを出しに行ったのです。キャプテンは突然の彼女の退部の申し出に驚き、懸命に慰留してくれました。しかし、いくら引き留めてもらっても留まる訳にはいきません。
 チラッと彼の様子を伺いました。彼は彼女とキャプテンの話が聞こえているはずなのに、素知らぬ顔をして素振りをしていました。 剣道部道場から出た彼女は、急に涙が溢れ出ました。もうこれで彼との繋ながりがなくなったのだと思うと、どうしても涙を止めることができませんでした。その日、彼女は同級生に出会わないように、裏道をすり抜けて校門を走って出たのでした。
 それから半年、部活を退めた彼女は夕刻からの空いた時間を埋めるために、アルバイトに勤しみました。あれから彼とは顔を合わすことはありませんでした。剣道部へ行かない限り、広い学内で、多くの学生の中から彼の姿を見つけることは不可能でした。とは言っても、彼の姿を見るために部室へ行くなどという勇気は、彼女にはありませんでした。 
 「私の片想いに決っているのだから、どうなるものでもない」彼女は、ほとんど諦めかけていました。
 秋の学園祭も終り、季節は冬に入ろうとしたころ、彼女は一通の手紙を受け取りました。差し出し人は彼でした。彼女は驚き、封を切る手ももどかしく、急いで手紙を開けました。
 それは彼からのラブレターでした。
 彼女は我が目を疑いました。まさか、彼が自分のことを想ってくれていたなどとは信じられない思いでした。
 あれから二十四年。その手紙に何と書いてあったのか、彼女は今となってはよく覚えていませんが、一行だけ鮮明に記憶に残っている部分があります。

<続く>

Date:2016.11.08(Tue)16:11 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(24)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 あれから五十年近くが経とうとしている今でも、彼女(75才)は彼が戦地から引き揚げてきた時に再会を拒否したことが、唯一つの心残りとなっていました。 もうこの年になれば、嫁ついでいたからと言っても、苛酷な戦場で生き抜き、真っ先に会いに来てくれた最愛の人に、何故飛んで行って会わなかったのだろうかと我ながら不思議にさえ思われます。“若さ”ゆえの頑なまでの潔癖さでした。 彼女は、今、あの時一目だけでも会って、戦地での苦労の労いを言わなかったことを悔いていました。そして、生きているとは思ってもみなかったこととはいえ、帰還を待ちきれずに嫁ついでいった自分の許しを請わず、五十年もの年月を経てしまったことが消しようもない心のしこりとなっていました。
 「元気で暮らしているんだろうかとかどんな風に生きているだろうかとか、ずっとあの人のことを想ってきました。自分の身に何かある度に、いつも彼が守ってくれると思っていました。一度でいいですから、死ぬ前にせめてもう一度会いたいのです。そうでないと、私は自分の心の整理を一生しきれないのではないかと思うんです」
 依頼時に、彼女はそう言っていました。
 彼女(75才)が彼のことについて正確に覚えていることと言えば、山梨県出身ということと勤務先だった商社の名前だけでした。手がかりはそれだけでした。軍籍の方は手紙を一度出しただけだったので、所属部隊がうろ覚えだったのです。 戦前に二人が勤務していた商社は、社名を少し変えてはいたものの現存していました。しかし、なにぶん五十年以上も前のこと、人事課でも総務課でもそんな昔の書類は残っていません。 担当の人は大変親切な人で、かなりの時間を割いて記録が残っていないかと調べてくれたのですが、結果は思わしくありませんでした。
 「お役に立てずすみません」
 何度も足を運んでいた我がスタッフに対して、係の人は却って恐縮さえしてくれたのでした。
 これではいたしかたありません。例の如く、「山梨県全域の彼と同姓のお宅を一軒一軒当たっていくしか手はないな 」と考えていた私でした。しかし、うろ覚えの部隊名であっても、念のために軍を当たってみることにしました。
 調査の結果、やはりと言うべきか、旧陸軍には彼女が私達に伝えた部隊名はありませんでした。
 ところが、思わぬ所から吉報が入ったのです。
 彼が出征前に勤務していた商社は、五十年以上も昔の記録など既に処分されていて無く、私達は念のためにと、依頼人(75才)がうろ覚えだった部隊名から陸軍関係や出身地、山梨県の役所関係をも当たってみることにしたのでした。
 しかし、そうした部隊はやはり存在せず、彼女の記憶違いだと分りました。
 やむなく、山梨県全域の彼と同じ苗字の家庭を一軒一軒当たっていく膨大な作業に取りかかろうとした時、山梨の役所から一本の電話が入りました。
 「先日おっしゃっていた部隊はこちらの方にはありませんでしたが、お尋ねの方のお名前に聞き覚えがあったので、ちょっと気になって、ひょっとしたらと思いまして連絡を差し上たのですが…あなたのおっしゃる方が私の知っている人とどうも同一人物のような気がするんです」
連絡をくれたのは、尋ねに行った時、親切に対応してくれた課長だと言う、初老の男性でした。
 「いやね、その人は市の助役や教育長などを歴任された方で、それでお話を聞いた時、どこかで聞いた名前だなと思ってたんですよ」課長はそう説明してくれました。
ところが、課長はその人が出征前にどこで勤務していたかとか、いつ除隊したかなどという、古い話は知りませんでした。
 「私が新任の時に、既に役場におられましたから…」そう、すまなそうに言います。
 逆に、私達は彼の戦後の人生については知りようもありません。課長が言う人と彼が同一人物であると確認する方法は、唯一つ、直接本人に聞くしかありませんでした。 
 「それで、その方は、今どちらに?」私は尋ねました。 
 「それが、三十年程前に失くなっているんです」
 「エッ?!失くなっておられるんですか…?」
 「ええ、立派な方でしたが、惜しいことに癌で失くなられました」
 「そうですか…。それでは、どなたかお身内の方はいらっしゃいませんか?」 「確か奥さんももう失くなられたと聞きました。お子さんもいらっしゃいませんでしたし…。そうそう、弟さんはご健在ですよ」  三日後、課長は東京に住む弟さんの住所を調べて、再び連絡を入れてくれました。
 私達は、早速、弟さんに連絡を入れたのです。弟さんの話では、失くなったお兄さんというのは、戦前、確かにその商社に勤務しており、昭和十六年に出征し、各地を転戦して最後にはシンガポールで捕虜となって、昭和二十四年に引き揚げてきたと言うのです。 
 依頼人が探していた人と間違いありません。
 役所の課長が言うように、彼は戦後、地元で教育委員長や役場の助役を歴任し、昭和四十三年の秋、胃癌のため五十二才の若さで失くなっていました。
 「そうですか。兄にも若いころ、そんな人がいたのですか…」
 弟さんは彼の戒名と葬むられている菩提寺を私達に教えてくれたのでした。
 私は、彼は既に昭和四十三年に死亡していたことと彼の戒名や菩提寺を報告書にまとめて、依頼人(75才)に郵送しました。
 五日後、彼女から一通の手紙が届きました。
 「探しにくいお願いでございましたのに、最後まで調査していただき有難とうございました。
 思いもよらぬ悲報でしたが、報告書に心のこもったお手紙まで添えていただき感謝しております。
 今はまだ、只々忙然としておりますが、気持ちが落ちつけば、お寺の方へお参りさせていただきたいと思っております。
 戦争へと押し流されていった中での出会い。それが、五十年経った今、こんな形で終わったのは本当に残念な思いでございます。『ああ、お互いに年を取ったね』という言葉まで用意しておりましたものを…
 調査していただいた方には厚くお礼を申し上げていたと、くれぐれもよろしくお伝え下さい」手紙にはそう書かれていました。
 「今一度会わなければ、一生心の整理がつかない」と言っていた彼女。彼が既に死亡していた今となって、果して彼女は彼女自身の戦後を終えることができるのだろうかと、私は人と人との出会いの儚なさを思わずにはいられませんでした。

<終>

Menu

プロフィール

佐藤あつ子

Name:佐藤あつ子
大阪府出身。奈良教育大学を卒業後、自らの「思い出の人を探したい。しかし、あまりにも料金が高すぎる」という経験から、従来のイメージを払拭した調査業者を目指し、昭和63年10月「初恋の人探します社」を創業。思い出の人探し(所在調査)をはじめ、家系図調査、企業調査など、長年培ったノウハウを元にした独自の調査方法で、判明率は90%以上を誇る。
また執筆活動においても大阪新聞に連載された「秘密のあつ子ちゃん 美人探偵・調査ファイル」のエピソードをまとめた「初恋の人、探します」(遊タイム出版)が、日本リスクマネジメント学会第3回RM文学賞を受賞。平成10年には松竹新喜劇において、同書を原作にした舞台「初恋の人探します社」(渋谷天外脚本)が上演された。
その他にも、ラジオ・テレビ出演、雑誌寄稿、起業家への創業支援や大学でのアントレプレナー養成などでの講演など、各分野において精力的に活動している。

最近の記事

最近のトラックバック

カテゴリー

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム