あっこのブログ

おばちゃん探偵、法科大学院に学ぶ。

Date:--.--.--(--)--:-- | Category:[スポンサー広告]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Date:2017.04.29(Sat)10:32 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(29)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 昨日、とても悲しい知らせが届きました。
 「前略 先日は妻の件で大変お世話になりました。お礼申し上げます。
 去る7月7日、妻は他界いたしました。
 貴社様に調査をお願いいたしました方とは無事連絡がつき、励ましのお手紙をいただきましたが、妻の生前にはお会いすることができませんでした。しかし、葬儀には遠方よりお越しいただき、妻の仏前で合掌してくださいました。妻も満足であったに違いございません…」
手紙にはそう書かれてありました。
 差し出し人は四十八才、東京在住の男性です。調査途中に一度だけ訪ねて来られました。誠実で優しそうな印象を与える人でした。 彼に調査結果を報告したのは今年の桜の頃です。全ての事情が分っていた私やスタッフは、その後彼から音信がなかったので、奥さんの容態を気にしていました。ですから、予想できたこととはいえ、手紙を読んだ時には私は言葉を失ってしまいました。
 彼の奥さんは享年四十四才。あまりにも早い死でした。
 明日は彼女の初盆。せめてお線香でもと、私はお供えを送りました。
 彼が手紙で問い合わせてきたのは、二月の終わりのことでした。私は被災地での調査に走り回っている頃です。
 「私は現在東京都に在住している者です。先日のテレビの放映番組で貴社様の存在を知り、一度お手紙でお伺いして、場合によればお願いしようとも考えている者です」
 ワープロで打たれた手紙はそんな書き出しで始まり、手がかりとなる項目だけが列挙してあるものでした。そして、「返信用封筒を同封いたしますので、調査が可能かどうかご連絡下さい」とあったのです。
 もちろん、何故探したいのかという理由は書かれていませんでしたので、その時点ではどんな理由で、どういう人が探したいのかなど、私には全く分りませんでした。なおかつ、依頼人の年令すらも分らなかったその時点では、連絡が取れなくなった恋人の所在を確認したい青年であろうとぐらいしか考えていませんでした。 とにもかくにも、その手紙を一見して、調査は可能だったのでその旨を連絡したのでした。
 三週間程して正式に依頼するために、再び彼の手紙が届きました。
 それを読んだ時、私は胸が詰まる思いでした。
 正式に調査を依頼したいと、再び届いた彼の手紙を見て、私は胸が詰まる思いでした。
 「私が探したいという人は妻の初恋の人です。
 妻は現在四十四才で、病気療養中です。より正確に申しますと、末期の肝臓癌で、既に癌のひどい痛みのための連日うなされている状態が続いています。
 痛みが強い時は過去の出来事が思い出されるようで、最近は特に初恋の人のことをよく申します。その人のことを話している間だけは気力が出るのか、痛みも少し和らぐようです。近ごろでは、妻を励ますつもりで、私の方からもその人のことを話しかけるようにしております。
 全身を襲う癌の苦痛に耐えている妻の姿を見るに忍び難く、今の妻の心の支えであるその人に、せめて生きている間に合わせてやりたいと思うのです。
 そんな訳で、調査はできるだけ早くお願いしたいのです。妻にはもうあまり時間がありません。
 ただ心配なことは、その人は当年七十才のご高齢で、ご健在かどうかということです…」
 私達がすぐさま動き出したのは言うまでもありません。
 依頼人の奥さんが十九才のころに憧れたのは、四十六才の妻子ある上司でした。幼い頃に父を亡くした彼女にはファダー・コンプレックスがあったのかもしれません。
 妻子ある上司に憧がれたと言っても、今流の不倫に発展した訳ではありません。ただ、彼女の心の中にだけある想いでした。その人柄をただただ慕っていたのでした。
 しかし、そんな彼女の秘かな想いも二年が経つ頃には断たれてしまうことになりました。その人が転勤となったのです。
 自分の想いを誰にも打ち明けたことのない彼女にとって、いくら会いたいといえども会いに行けるものではありませんでした。そのうち、あたかも忘れ去ってしまった出来事かのように、彼女の初恋は胸の奥底にしまわれていきました。
 それが、癌というひどい痛みと闘わなければならない状態の中で、鮮明に蘇えってきたのです。
 その人の調査は難行しました。当然と言うべきか、既に依頼人自身も色々調べていました。しかし、その所在は杳として分らなかったのです。もう、一刻の猶予もありません。引き受けた責任上、いえその理由だけではなく、私は何としても彼女が元気なうちに所在を知らせてあげたいと思っていました。時間との勝負でした。
 依頼人の奥さん(44才)の初恋の人の所在がやっと判明してきたのは、桜の花の頃でした。
 早速報告した私に、彼は「どういう風に言えば一番いいでしょうか?先方に迷惑をかけるのも申し訳ないですし…」と悩んでいました。
 「ありのままをお話すればいいのではありませんか?ご本人に直接連絡をつけることができれば、ご迷惑になるということはないと思いますが」私はそう答えました。  
 「そうでしょうか?一度、妻の兄とも相談してみます」そう言って切られた電話から、何ケ月も彼から連絡がなかったのです。
 「どうしはってんやろ?」スタッフ達と気にしていた矢先に届いた悲報でした。 その手紙の封筒の裏に書かれた彼の名前をじっと見つめていると、彼は今どんなことを考えているのだろうかと思わずにはいられません。
 七夕の日に逝ってしまった妻。妻が癌の痛みにうなされながら口にしていた名の人には、結局生前会わせることができなかったけれども、それでも遠方から葬儀に駆けつけてくれた…。 彼は奥さんの初盆をどんな気持ちで一人迎えたのだろうかと考えていると、無性に切ない気持ちに捕らわれたのです。

<終>

Date:2017.02.28(Tue)17:05 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(28)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

仕事の忙しさにかまけてほとんど家庭を顧みなくなったことと、会社の立ち上がりが苦しく、所帯費を入れることができない時期が続いたころからでした。
 しかも、彼女の母親、つまりあのスナックのママが問題を余計ややこしくしてしまったのです。
 彼女の父親は事業に失敗し、母親との仲もうまく行かず、今はキャバレーで知り合った女性と暮らしています。母親はそんな亭主にほとほと愛想がつき、スナックを経営して、女手一つで二人の子供を育てたと言います。それはそれで大変なことだったろうと思いますが、彼に言わせると、この母親は性格的にかなりルーズなところがあるらしいのです。
 「やれ、今月は店が赤字やったから五十万円貸してくれやの、やれ、店を改装せなあかんから三百万円都合してくれやの、何回も言うてきよりますねん。そのたんびに、アイツの母親やと思うから用立ててきましたんやけど、いっこも返しますかいな。店もいつ改装するんかいなと思ってましたけど、もともと改装する気なんかあれしまへんでしたんや。それに、家の方も汚いし、掃除なんか一切しまへんねんや。チビらを連れて来い、来い言いまっけど、あんな汚い所、よう行かしまへん」
当然、彼は彼女にこうした母親の文句を言います。それが度重なると、彼女としてもいい気分ではなかったのは確かなようです。
 何度も起こる夫婦げんかの揚句、彼女は家を出たのでした。
 彼女が家を出たと言っても、依頼人は実家に戻っていると踏んでいました。そして、母親が経営しているスナックを手伝っているとも推測することができました。
 ところが、彼が実家に連絡を入れても、母親は「戻ってきていない」と答えるばかりで、隠していることが明らかでした。
 十日ほど経った夜、彼は実家に向いました。そこでは何と、五才と四才の小さな娘達が祖母と母がスナックへ出勤した後を二人で留守番をしていたのです。「こんな小さな子供らだけにしておいて!」彼は腹を立て、すぐさま子供達を連れ帰りました。
 ところが三日程経つと、子供達を通わせていた幼稚園に彼女が迎えにきて、再び自分の元へ連れて帰ったのでした。
 再度、彼が実家へ乗り込んだ時には、もう彼女も子供達の姿はありませんでした。 
 そしてまた十日が経ち、彼女から連絡が入りました。 「もう離婚しましょう」 「そんなこと言うても、子供はどうすんねん?」
 「子供は私が引き取ります。あなたに育てれるはずがないでしょ!」
「それは許すさん!チビらは俺が引き取る!」
 話し合いは埒があきませんでした。すると、彼女は意外な行動に出たのです。
 彼女が依頼人と離婚したいと言う理由は三つありました。
 一つは独立当時、資力を会社運営に注ぎ込んで、一時、所帯費を入れなかったことです。「いや、今はきっちり入れてまんねんで」彼はそう私に言い訳をしていましたが…。第二の理由は、「私の親の悪口ばかり言う」ということでした。それに対しては彼の方としても言い分があるので反論していると、揚句の果てに彼女は「相性が会わない」と言い出したのでした。それが第三の理由です。
 ここまでくると、理由など関係なく彼女は是が非でも彼と別れたいのだと、彼は悟りました。
 「それならそれでもええ。但し、子供だけは渡さん!」彼は思いました。そして、そこまで離婚、離婚と言うのには、きっと男ができたに違いないとも思ったのでした。
 私は「そこまではどうかな?」と反論しました。が、彼は「いや、男の心あたりはありますねん。スナックの常連客ですわ」と言うのです。
 話を元に戻しましょう。 話し合いでは埒があかないと判断した彼女は、十日もしないうちに弁護士を立て、調停に持っていったのです。これには私も随分強行だなぁと思ったものです。
 結局、彼の依頼というのは、離婚するにしても子供だけは渡したくない、そのためにも彼女が今どこに住んでいるのか、そして男がいるかのどうかを確認してほしいということだったのです。
 私としてはあまり乗り気のする仕事ではありませんでした。彼の力なってあげたいという反面、彼の性格を考えると彼女の方にも当然言い分はあることでしょう。それに何よりも、既に調停に入っているのですから、子供の親権というようなことはまず弁護士に相談すべきです。
 私は彼のためにも早期に弁護士に会うことを勧めました。 
 ひと月ほどして、再び彼から電話が入りました。
 「先生、やっぱり男がいよりましてん」
 「まぁ、どうして分ったんですか?」
 「チビらがちょろっと言いよりましたから、追求したら、案の定ということですわ」
 「そうですか。それで、調停の方は?」
 「まだまだこれからですわ。とにかく、あの時、色々と聞いてもらったお陰で、だいぶ気ぃが楽になりましたわ。またなんかあったら頼んますわ」
 「今度はもっといい話の分にして下さいよ」私はそう言って、電話を切ったのでした。

<終>

Date:2017.02.01(Wed)16:49 | Category:[未分類]

秘密のあっ子ちゃん(27)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 それは昨年の秋の初めのある夕方のこと。中年の男性から慌てふためいたような声で電話がありました。 「お宅とこは家出なんかもやったはりまんのか?」 かなりぞんざいな言い方です。
 「ええ、内容によってはお探ししていますけど、どなたが家出されたんですか?」と私。
 「嫁はんなんですわ。チビらを連れて出てますんや。昨日、幼稚園に行ってる上のチビが携帯に電話してきて、『パパ、早く帰りたい』と言いよりまんねん。『どこにおるんや』と聞いても、『分らん』としか答えませんし…。アイツらが可哀想で、居ても立ってもおれませんねん」
どうやら、“チビ”とは彼の子供のことのようです。 「どちらにしても、もう少し詳しいお話をお聞かせいただかないと…」
私がそう言うと、彼は聞いてきました。
「これは、そっちへ行かなあきまへんのか?」
「お電話でもいいケースもありますが、お宅様の場合はお会いしてお話をお聞きした方がいいと思います」 「はぁん、そしたらこっちへ来てくれはりまっか?」 彼はそう答えたのでした。
 「逢うて話さなあかんねんやったら、悪いでっけどこっちへ来てくれはりまっか?」
彼はそう言いました。
 「申し訳ないですけど、ウチは皆さんこちらへお越し願ってるんですけど…」 私が答えます。
 「そうできるやったら行きまっけど、忙しいて手が離せないんですわ。不況で三日前に社員五人全員を切ってしもうて、一人でてんてこ舞いですねん。いや、儲かってんのは儲かってまんねんけどね。電話がジャンジャンかかってくるさかい、事務所を空けられませんねん」
 不況で社員をクビにしたと言ってみたり、儲かってると言ってみたり、私は内心「話が合わんやっちゃな」と思っていました。
 「それでは、業務が終わられてからでも結構ですよ。私も遅くまで仕事をしていますから」
「夜中までかかりまっから、マ、そんなん言わんと、ちょっと来てくなはれな。時間は取らせませんよってに」
「忙しいのはこっちもや」とは思いつつも、「マ、しゃあないな」と今から出向く旨を承諾したのでした。
 ところが、指定された彼のオフィスのあるビルの前で落ち合うと、私は再び目が点になってしまいました。 指定された依頼人のオフィスが入っているという、立派なビルの前で待っていると、彼はほどなくやって来ました。いかにも若い頃はブイブイ言わせだたろうなと思える、四十過ぎのがっちりした体躯つきの男性でした。
 「無理言うて、えらいすいまへんなぁ」彼はそう言い、「どっか落ち着くとこで、話聞いてもらえまっか?」と歩き出しました。  「そうですネ。そこの喫茶店にでも入りましょう」私はそう答えながら、喫茶店に入りかけました。
 ところが、彼は「喉がえらい乾いてまんねん。どっか、ビールの飲めるとこへ行きまひょうな」と言うのです。
 「ビールならここでもあると思いますよ」と私。 「マ、そう言わんと。喫茶店では落ち着かんから」と彼はスタスタと歩いていきます。
 私は「何やねん、コイツ。酒を飲むとこの方が落ち着かんやんか」と思いながらも、やむなく、ほとんどムッとしながら彼が目指していた小料理屋へ一緒に入ったのでした。
 彼は自分の大ジョッキを頼むと、「先生も飲みはりまっしゃろ?」と言ってきました。
 私は、「いえ、結構です。それに、私は先生ではありませんので、佐藤で結構です」と答えます。
 「先生、酒はいけまんねんやろ?そんなん言わんと、一杯つきおうてくなはれな」 私は「まだ言うか?」と思いつつも、それに、ゆっくり腰を据えて酒を飲む態勢に入っている彼を見て「どこが事務所を空けられへんねん」と思いつつも、いつまでもそんなことに構っていては話が進まないと判断し、「で、奥さんが家を出られたのはいつごろのことなのですか?」と切り出したのです。さっさと依頼の内容を聞いて、早く事務所に帰り、残っている仕事を仕上げたい気分で一杯でした。 
 「それですねん、先生。話せば長いことですねんけど」と前置きをして喋り出した彼の話は、本当に長い話でした。優に三時間はかかったのです。
 加えて、彼の話は主語を明確に言わない大阪弁の特徴そのままで、しかも登場人物が多すぎ、「どれが誰のこっちゃ、全然分らん」ということなり、なおさら時間がかかったのでした。 「どこが『忙しいて手が離せんから、来てくれ』やねん。腰据えて酒を飲んでるやんか!」
 さっさと依頼の内容を聞いて、早く事務所に帰り、放ったらかしにしている残りの仕事を仕上げたい私は、優に三時間は超えた彼の話に初めはイライラしていました。
「完璧に酒の相手をさせられてるわ」
ところがそう思った途端、私は全てが分ったのです。 その通り、彼は私に酒の相手をして欲しかったのです。奥さんとのもめ事や奥さんの実家とのゴタゴタ、それに目の中に入れても痛くないほど可愛がっている子供達の身の心配…。友人や親戚や得意先には決して言えない、そうした話を私に聞いて欲しかったのです。いや、彼らに言ったところで、「それはえらいこっちゃなぁ」と済まされるだけで、自分の心の苦しみを真底理解してくれないだろうことを、彼はよく知っていたのです。一人で悩み続け、現に彼はここ何日間か食が進まず、禄に眠りもできなかったようです。「先生、こんだけ食べんのは久しぶりですわ」彼は言いました。彼は苦しくて、それに淋しかったのです。
 「私にもビール下さい!」私は店の人に言いました。 彼の気持ちが分った瞬間、私も腰を落ち着けて、彼の話をじっくり聞いてあげようと思ったのでした。
 彼の話とはこういうことでした。
彼が奥さんと知り合ったのは、彼女の母親が経営しているスナックへ飲みにいった時のことでした。
 「今日から娘が手伝いにきてくれるようになったのよ。よろしくね」そうママに紹介されて一目彼女を見た時から、彼は彼女を気に入ったのです。それからは以前にも増してその店へ通うようになりました。彼の気持ちは母親はもちろんのこと、常連客でさえ知らぬ者はないほどでした。彼女自身もまんざらでもなかったようです。
 そのうち店以外でも二人で会うようになり、やがて同棲し、子供ができたのを機に結婚したのでした。  彼は子煩悩で、二人の娘達を大変可愛がりました。夫婦仲も当初は非常に良く、家庭的には何ら問題がありませんでした。
 ところが、様子がおかしくなってきたのは、彼が独立して1年くらい経ったころです。

<続く>

Menu

プロフィール

佐藤あつ子

Name:佐藤あつ子
大阪府出身。奈良教育大学を卒業後、自らの「思い出の人を探したい。しかし、あまりにも料金が高すぎる」という経験から、従来のイメージを払拭した調査業者を目指し、昭和63年10月「初恋の人探します社」を創業。思い出の人探し(所在調査)をはじめ、家系図調査、企業調査など、長年培ったノウハウを元にした独自の調査方法で、判明率は90%以上を誇る。
また執筆活動においても大阪新聞に連載された「秘密のあつ子ちゃん 美人探偵・調査ファイル」のエピソードをまとめた「初恋の人、探します」(遊タイム出版)が、日本リスクマネジメント学会第3回RM文学賞を受賞。平成10年には松竹新喜劇において、同書を原作にした舞台「初恋の人探します社」(渋谷天外脚本)が上演された。
その他にも、ラジオ・テレビ出演、雑誌寄稿、起業家への創業支援や大学でのアントレプレナー養成などでの講演など、各分野において精力的に活動している。

最近の記事

最近のトラックバック

カテゴリー

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。